メモ帳の切れ端

舞台で輝く推しを見てる

推しと見るか、キャラと見るか

元が2次元オタクなのもあってこれまで舞台化されてきた作品は俳優さんの芸歴や演技よりも、ビジュアル面でイメージに合っているかどうかを見ていた。だから役者さんの名前を出して役にあっている!と言われても、あまりピンとこなかった。
これは俳優さんに限らず声優さんも同じだった。アニメをあまり見ないのもあって、好きな作品がアニメ化されても声と役のイメージがわからないまま放送開始を迎えてることが多い。友人知人との話でもキャラ名ではなく中の人の名前で話を進められると「何のアニメに出てた人?」と聞いてしまうこともよくある。
原作ありきで考えることが多かった身としては、「キャラ」ではなく「中の人」を重視して見る感覚が長い間わからずにいた。

推しを知ったのは、好きな原作が2.5次元舞台化されたのがきっかけだった。 推しの第一印象は綺麗な人だけど、これは推しだけに向けられた言葉ではない。推しが演じたキャラがまさに、私がイメージしていた通りの綺麗な人だった。初めてビジュアルを見た時すごいきれいしか言えなかった気がする。
そこから時間を掛けてキャラではなく推しを好きになった今でも「推し」ではなく「キャラ」として見ている。オタク同士で話すときも「舞台版のAくん(キャラ名)がね」という感じで話題にしている。推しも推しが演じたキャラも別ベクトルで想い入れが強い存在だった。

けれど原作を知らない、推しの演技が見たくて行った舞台では「キャラ」ではなく「推し」として見ている自分がいた。
全く原作を知らないわけじゃない。話の概要やあらすじを頭に入れ、簡単ではあるけど作品に触れた上で舞台には行っている。だから世界観や人物の関係性、誰が誰に対してどう思っているのかは説明されなくてもわかっていたし、名前を知っている役者さんが出ていても「役者」ではなく「キャラ」としてその人のことは見ていた。

それなのに、推しだけは「キャラ」ではなく「推し」として見ていた。

舞台を見終わったあと同行した友人と感想を言い合っているときも、キャラ名ではなく推しの名前が何度も出そうになった。推しの演じていたキャラの魅力はたくさんあったし、事前に知っていた感じの印象だったなと思う。だけど舞台を思い返してもキャラではなく「推しの◯◯のシーンすごくよかったなぁ」とひとりごちていた。

その時に初めて、「キャラ」ではなく「中の人」で見る人の気持ちがわかった。
「中の人」が好きだから原作を知らなくても見てしまうし、「中の人」に対して思い入れが強くなってしまう。私が原作が好きだから「キャラ」に思い入れを抱いてしまうのと同じで、どちらに重きを置くかの違いだということに気付いた。

そのことがわかると、今までついていけなかった周りの話がわかりはじめた。
相変わらず声優さんや役者さんを覚えられないけど「こういう演技をしてるところが好きなんだ」とか「知らなかったけどこういう魅力を持っている俳優なんだ」とか思えるようになった。
中の人が好きになったからこそ相手の熱量や気持ちが伝わる。わからないまま話を聞くよりも、ずっと楽しくなった。

とはいえ、できるだけ「推し」と「キャラ」の両方の目線で見ていたいのが本音だ。
推しの出ていた舞台の円盤はあるけどその前にまず原作を知ってから推しの演技を見たいと思う。
少し時間がかかってでも、作品と推しの二つを満足に味わいたいから。